「ルパン三世」のモンキー・パンチ逝く、彼がいなければ宮崎駿のアニメも見られなかったに違いない!映画化第一作「ルパン三世 ルパンVS複製人間」は必見。

引用 映画「ルパンVS複製人間」

漫画「ルパン三世」の原作者、モンキー・パンチさん(本名/加藤一彦)が11日午前7時26分、誤嚥性肺炎のために死去しました。公式サイトが発表しました。81歳でした。北海道浜中町の出身、葬儀は近親者のみで営まれました。後日、偲ぶ会が開かれる予定です。モンキー・パンチさんは北海道浜中町時代には、霧多布高校定時制に通いながら放射線技師の助手を務めていました。19歳で漫画家を目指して上京し、貸本屋の漫画を描く仕事で生計を立てていました。そんな中、1965年に双葉社「漫画ストーリー」から「プレイボーイ入門」でデヴューし、翌年、同誌の清水文人編集長の提案を受けペンネームを「モンキー・パンチ」としました。

アメコミに影響を受けた独特の作風

■当初は成人向けの漫画だった

作風はアメリカン・コミックに影響を受けたアメコミ風でした。その作風が認められ1967に「週刊漫画アクション」で「ルパン三世」の連載をスタートさせます。「ルパン三世」は1971年に日本テレビ系でアニメが放送され、映画化され日本を代表する漫画、キャラクターとなっていきます。漫画アクションに連載された当社は成人向けの漫画として描かれ、独特の世界感を持った作品でした。テレビアニメ化されて以降は視聴者の対象が幅広くなったため、当初の“成人向け”のキャラから柔らかいキャラクターに変化していきます。第2シーズンでは宮崎駿監督も作品を手掛けています。第二シーズンの最終回、第155話「さらば愛しきルパンよ」が、その作品です。

■宮崎駿監督の「さらば愛しきルパンよ」

この「さらば愛しきルパンよ」では宮崎監督は「照樹務(テレコム)」と名乗り、宮崎の名前ではクレジットしていません。宮崎監督の言によれば「ルパンのキャラクター設定に納得がいかなかった」為にテレコムの名前で製作したと語っています。そのわりに、天空の城ラピュタに登場するロボット兵にそっくりなラムダ(ロボット兵)が登場したり、ルパンの乗る車が映画『ルパン三世 カリオストロの城』と同じ「フィアット500」だったりと宮崎風のこだわりが随所に見られます。ルパン三世との出会いが宮崎監督の“職人魂”に火を付けたのでしょう。後に宮崎監督が手掛ける「カリオストロの城」を見れば、それがよくわかります。宮崎監督がルパン三世と出会わなければ、以降のジブリでの仕事もどうなっていたかわかりません。

幅広く支持されるルパンのキャラは第2シーズン以降のもの

■ぜひみてもらいたい第一回の映画作品「ルパンVS複製人間」

日本テレビ系列では19日(金)の放送予定を変更し「金曜ロードSHOW!」でルパン三世の劇場版第一作「ルパン三世 ルパンVS複製人間」を放送します。19日は、劇場版「名探偵コナン 天空の難破船」を放送予定でしたが、訃報を受けて急遽変更されました。「ルパン三世 ルパンVS複製人間」は1978に公開された作品です。ルパンが謎の男・マモーと「賢者の石」争奪戦を繰り広げる物語です。追悼というならば、モンキー・パンチさん自身が96年に初めて監督した「ルパン三世 DEADorALIVE」にするべきではなかったんかとの声もあります。しかし「ルパンVS複製人間」は初期のルパン三世のコンセプトを色濃く残している作品なのです、最近のルパン三世にはない“世界感”を見ることができると思います。

■これからも愛されるであろうアニメキャラとしての「ルパン三世」

「ルパンVS複製人間」は「初期の頃の大人向けルパンが見たいという声にお応えします」という製作趣旨のもと、初期の作風に近づけるという意向が明示されていました。東宝宣伝部によると本作は「007シリーズ」のアニメ版という位置づけとし、ポスターと本編にヌードや性的な表現を登場させるなど、観客層は成人を想定していました。しかし、実際に公開が始まると“テレビ第2シーズン”を視聴中の中高校生が中心でした。興業の結果は10億円を超える大成功となり、次回作「ルパン三世カリオストロの城」(宮崎駿監督)の製作がすぐに決定しました。しかし、ターゲットとする観客層は15~6歳中心に改められました。テレビの第2シーズンを手掛けた際に宮崎駿監督が疑問に感じていたルパンのキャラクター設定の問題がここにあったです。「人を絶対に殺さないルパン」アニメの主人公ルパンを宮崎監督は“自分のルパン”と考えていたのです。事実、今も続く「ルパン三世」は初期のルパンキャラではなくカリオストロの城以降のキャラクターなのです。

 

 

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