長浜ラーメンの発祥地、長浜地区の屋台街が瀕死の状態!「どげんなっとるとや」

引用 makaroni

朝日新聞デジタルの取材によると、長浜ラーメンの発祥地である、福岡市の長浜地区で屋台街が崩壊の危機に瀕しているといいます。現在営業しているのは4軒のみ、福岡市が行った今年の事業者公募でも、出店希望者は出ないままだったようです。関係者は「長浜屋台は風前のともしび」と危機感を強めています。そもそも、長浜地区の屋台街は長浜の魚市場で働く人たちの為にあったのですが、そこに一般のお客も通うようになって発展してきたのです。築地のように市場自体が移動して衰退しているのではないです、いったい何故、かつての人気屋台街区が衰退してのでしょう。

屋台街の衰退を招いたのは消費者の変化と店舗の質の劣化

■全国区になったことが衰退のきっかけに

福岡市鮮魚市場ができたのは1955年、それに合わせて屋台街が生まれたとされます。忙しい市場関係者向けに、手早く茹で上がる極細麺を使ったラーメンを、多くの屋台が提供しました。6年前までは15軒が市場西側の道路に向かい合って営業していました。近くには“元祖 長浜屋”もあって徐々に観光客が増えていきました、当初は「とんこつ」スープの匂いを嗅いだだけで「気分が悪い」という酔客がいたり、まだまだ、地元の屋台街だったのですが、マスコミで取り上げられる頻度が増え、全国区で知られる屋台街となっていきます。観光客の増加は「ぼったくり」や歩道の違法占拠などの問題を生み出します。

■確かに都市中心地で営業するには問題がある

地元の人たちのために営業していた屋台ですが、増加していく観光客を目当てに悪質な業者が屋台の質を下げていったのです。こうした屋台の状況に営業ルールを明確にしようと、福岡市は2013年、屋台の営業時間や広さ、値段を明記することなどを定めた屋台基本条例を制定しました。2メートル以上の歩道幅を確保できなかった長浜の屋台は、約150メートル離れた歩道に集団移転させられました。これに応じたのは9軒、その後、閉店したり、常設店舗型に切り替える店舗が相次ぎました。問題は環境面の整備もさることながら、営業時間が4時までと厳格化されたこともあります。これまでは、超過しても黙認されてきた状況がありましたが、今では巡回員が時間を確認し、悪質な場合には営業停止などの厳しい対応が行われるようになりました。

周辺と共存できないことが屋台への魅力を生んできた

■確実に減少している屋台

屋台の起源は戦後の混乱期に遡ります。終戦後の食糧事情がよくないときに大衆のお腹を満たすために生まれたのが始まりなのです。また、起業するにも大きな元手が不必要だったことから戦災者・未亡人・引揚者たちの復興の糸口となった面もあります。しかし、その反面、不衛生であったり交通の妨げとなったりと発生した時から問題はあったのです。1950年以降は露天飲食店業者が組合を組織し屋台を守ろうとしますが、福岡市はこれに対して屋台を減らしていく政策を取ります。これによりピーク時には400店舗以上あった屋台も現在では百数十店舗までに減少しています。国際都市となった福岡市においては、屋台のもたらす恩恵よりも、抱える問題の方が大きかったのです。

■滅びる定めにあるからこそ魅力があるのでは

そうなんです、屋台はある面「戦後の負の遺産」でもあるのです。それが故に、ノスタジーを感じ、仮設の環境で酒を飲む独特の世界観を味わえるのです。しかし、観光地区「中洲」の屋台を見てください、店舗の作りが“仮設”であること以外に常設店との違いがあるでしょうか?常設の居酒屋で提供されるメニューと何ら変わらない内容が提供されています。価格も決して安いものではありません、かつて、長浜の魚市場で働く人たちといっしょに飲み、ラーメンを食べた時代は終わったのです。確かに長年、屋台文化を守ってきた人たちにとって屋台街が無くなっていくことは辛いことです。屋台好きの私らオヤジにも寂しいものがあります。しかし、既に屋台が成立する環境は失われ、消費者側も変容してしまったのではないでしょうか。残った屋台の方には頑張っていただきたいと思いますが、失われていくものを無理して止めることはないと思います。それもまた、時代の流れなのですから。

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