今日は「母の日」、日頃の感謝を込めて森永の「マイディア」をお母さんに贈りましょう。

引用 花問屋

母の日の起源はアメリカの田舎町とされています。その町に住んでいたアンナという少女の母親が亡くなったとき、アンナは母親の追悼式が行われる協会をカーネーションで飾りました。亡くなった母親は町の子供たちのために一生を尽くした心優しい人だったため、すべての町の人が母親に感謝の意を込め母の日を定めたのです。この優しさみ満ちた行事はアメリカ全土に広まり、その後、全世界に知れれるようになりました。少女アンナは後に母の日の創設者として知られるようになり、1913年には青山学院にメッセージが届き、当時の女性宣教師たちの熱心な働きかけで“母の日礼拝”が行われました。これが後に日本で「母の日」が定着していくきっけとなるのです。

日本の「母の日」の起源

■日本の「母の日」には森永が貢献していた

1931年に大日本連合婦人会が結成されました。その際に、同組織は皇后の誕生日である3月6日を「母の日」としましたが、普及しませんでした。1937年5月8日に第1回「森永母の日大会」が豊島園で開催されました。ポスター貼ってある菓子店で招待券を配り、20万人ものおかあさんを無料で招待しました。この招待券には、電車の乗車券と豊島園の入場券の引換券の他、森永のお菓子の引換券や、牛乳・コーラス・コーヒーなどの接待券が当たる福引券が付いていました。当日、豊島園内では“母をたたえる式”が行われ、おかあさんたちは遊具に子供たちと乗ったりボートを漕いだり、楽しく過ごしました。この後、森永・母の日大会は全国の主要都市で毎年開催されるようになりました。戦争による中断はあったものの、昭和22年には再開しています。

■母の日のカーネーションは本家譲り

昭和24年ごろからはアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになりました。そして母の日にはカーネーションを贈るのが一般化していきました。母の日の普及には森永が尽力したにも関わらず、贈られるようになったのは本家に倣って「花(カーネーション)」だったのです。あまり知られてはいませんが、母親が健在の場合には赤いカーネーションを贈り、母親が鬼籍に入っている場合には白いカーネーションを贈ることが一般的だそうです。赤いカーネーションの花言葉は「母への愛」「母の愛」「純粋な愛」「真実の愛」などです。カーネーションの各色の花言葉の中でも、最も直接的な母親への想いが込められています。白いカーネーションは「私の愛情は生きている」「尊敬」などです。亡くなった母親偲んで贈る花の定番となっています。

母の日には森永の菓子を添えて

■せっかく企業として努力したのに

ところで先ほどご紹介したように、日本の母の日に大きな貢献をしたのは森永だったのです。そうエンゼルパイやミルクキャラメルで有名な菓子メーカー森永さんです。チョコレートを売るためにバレンタインにチョコを贈る提案をしたり、クリスマスにはケーキやチキンを食べる事を業界団体はアピールし、売り上げを伸ばすとともに、その習慣を消費者に植え付けてきました。恐らく「母の日」も森永がプロモーションのために仕掛けたのではないでしょうか?それなのに、子供から母親にお菓子を贈るような習慣は普及していません。発祥のアメリカに倣ってカーネーションを贈ることが慣例となっていますし、それが母の日として定着しています。

■今年は森永の「マイディア」をどうぞ

量販店のお菓子売り場を覗いてみてください、この時期限定で森永さんが特別な商品を売り出しています。メープル&ソルティバター味のプレーンビスケット「マイディア」と、爽やかなチーズとレモンがほのかに香る半生ケーキ「マイディアガレットサンド」の2商品がそれです。どちらも母の日にぴったりの優しいピンク、パッケージの特徴はそれだけではなく2つのパッケージを並べると、中央に華やかなカーネーションの花束が現れるのです。さすがわ森永さんです、言葉では照れてしまうという人も「マイディア」をそっと手渡しすれば「ありがとう」の気持ちを素直に届けることができるのです。「MY DEAR」は『親愛なる君、私の愛する、愛しい君』など、特別な人に対して気持ちを込めて呼ぶときの呼び方です。母の日には花だけではなく、母の日の先駆者・森永さんのお菓子を添えて贈ってはいかがでしょうか。

 

 

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