坂口良子の娘として生まれて、“わけあって”坂口杏里の復帰への執念。顔が違うように、その存在も違うことを認めて生きていくべき。

引用 スポニチ

坂口良子さんが亡くなって、もう6年が経ってしまいました。亡くなる直前まで、慣れないバラエティ番組に一緒に出演し、必死に芸能界で生きていけるように声援を送っていた娘の坂口杏里さんは、今は元タレントと呼ばれ、夜の仕事をやって食いつないでいるようです。その杏里さんのここ1年間の動向を追ったドキュメンタリーが今日、放送されました。フジテレビのドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション ワケあって…坂口杏里」がその番組です。既にタレントでもない一人の女性の生活を追いかけるというのは、どうかと思われますが、そこには坂口良子の娘という「二世タレントの宿命」のようなものがあるからなのでしょう。

坂口良子は昭和の大女優

■坂口良子は昭和世代の良き思い出

本人の杏里さんを語る前に、坂口良子さんを思い出さなければなりません。良子さんの存在なくして杏里さんの存在はないからです。それは、母がいなければ娘は生まれて来ないという道理とは違います。母であった坂口良子さんのプレゼンスが、坂口杏里という女性の人生に大きな影響を与えているのです。坂口良子さんは北海道から上京し、1971年にミス・セブンティーンコンテストに優勝し芸能界入りします。その後、萩原健一さんと共演した「前略おふくろ様」などの作品が当たり。1970年代はアイドル扱いされていました。しかし、70年代後半には名監督市川崑の作品を中心に映画出演も多く、その演技に高い評価が集まりました。

■バラエティへの出演は娘のため

昭和世代には忘れられないテレビドラマ「前略おふくろ様」「池中玄太80キロ」などに出演。昭和時代に思春期を過ごした方々には思い出深い女優さんと言えます。当時はドラマや映画への出演がほとんどでバラエティ番組への出演はほとんどありませんでした。良子さんが晩年、娘の杏里さんと共演してバラエティ番組へ出演するようになりましたが、自分の病気(癌)を知り、残される娘を芸能界で食べて行けるようにするためだったのでしょう。良子さんが存命の期間は各テレビ局も母娘での起用も多く、杏里さんの知名度も上がっていきました。しかし、良子さんが亡くなると杏里のさんの存在感も失われ、だんだんとテレビの露出も減っていきました。

夜の仕事に落ちた元タレントを何故、追いかけるのか?

■ストリッパーなのに踊れない

杏里さんのその後は、今日の「ザ・ノンフィクション」で語られています。母の死後、ホストクラブにはまり、多額の借金を背負って芸能界から姿を消し、夜の仕事を始め逮捕までされてしまった杏里さん。番組では浅草のロック座でストリッパーとして出演することになった杏里さんの周辺から取材が始まります。ストリッパーと言いながら、踊りが踊れない杏里さん、デヴュー直前で出演解消。本人はまったく知らない事なのに、まわりがダメにしていくと杏里さんは嘆きます。それから、取材ディレクターに送られてくる「遺書」、自殺未遂、バンドの結成とそれに対するバッシングの嵐。生活費が無くて、結局は夜の仕事から抜け出せない杏里さん。最後は母の墓に語りかける彼女の姿で番組は終わります。

■母の成し遂げたことでなく、母そのものを思って生きる

坂口杏里が坂口良子の娘であるから成立する番組でした。昭和の大女優の娘が、せっかく母が用意した場所から転落して、社会で苦労する姿が痛々しく描かれているからです。制作側のディレクターは「応援」するつもりで作ったのかも知れませんが、どう描こうが、現実は変わらないのです。坂口良子は唯一無二の存在であり、そのプレゼンスは娘とはまったく別次元のものなのです。娘が何らかの才能を受け継いでいるのであれば、遅まきながら、その才能を伸ばしていくしかありません。それがバンド活動なのかもしれませんし、これからやってくる女優としての仕事なのかもしれません。しかし、生活の為にという名目で“夜の仕事”をやるべきではありません。そこは、坂口良子の娘として最も避けてゆくべき世界です。そのギャップをマスコミは面白おかしく伝えるのでしょう、坂口良子さんが生前「娘は顔が似ていない」と番組中に語っていました。そうです、顔も違えば人生も違うのです。既に二世ネタとしての旬は切れかかっています、今後、需要があるとすれば「あの人は今」くらいです。坂口良子ファンとして言いたい、夜の仕事を止め、どっか務めてみてはどうでしょう。別の世界が見えるかもしれません。

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