さらばイージーライダー!ニューシネマの騎士ピーター・フォンダ逝く。もちろん最後は「ワイルドで行こう」。

引用 イージー・ライダー

映画「イージーライダー」が公開されたのは1970年1月24日のことでした。オープニングでステッペンウルフの『ワイルドで行こう』が流れ、ピーター・フォンダがバイクで走り出し、彼の名前とデニス・ホッパーの名前が写し出されます。公開当時、若者から絶大な支持を受け、アメリカンニューシネマの代表作の一つとなりました。この映画で一躍スターとなった俳優ピーター・フォンダさんが16日、ロサンジェルスの自宅で死去しました。79歳、死因は肺がん。多くのアメリカのメディアが名優の死を悼みました。

フォンダ一家に生まれ、俳優として生きた

■父も姉も俳優だった

ピーターさんの家族は声明文を発表「私たちの人生で最も悲しい瞬間で、心の痛みを表す適切な言葉を見つけることができません」と追悼しました。ピーターさんはニューヨークの出身、父親は「荒野の決闘」や「十二人の怒れる男」に出演した名優ヘンリー・フォンダさん、姉は「バーバレラ」や「コールガール」で知られるジェーン・フォンダさんという芸能一家に1940年2月23日に誕生しました。大学を出てブロードウェイで活動した後、63年に「タミーとドクター」で映画デビュー。その後、自身の映画会社を立ち上げ、69年には「イージー・ライダー」を製作、71年には「さすらいのカウボーイ」で監督を務めています。

■父への反抗的な感情

ピーター・フォンダさんの父親は、ハリウッド黄金期の大スター、ヘンリー・フォンダさんでした。ヘンリー・フォンダさんはアメリカを代表する人気俳優でしたが、私生活では女性にだらしなく、ピーターさんの母親は常に家庭内暴力や女性問題に悩まされていました、その結果、自殺してしまいます。その第一発見者がピーターさんだったのです。彼が父親と和解するまでには長い年月が必要でした、彼が製作に乗り出した初期の頃“反抗的”に写った彼の姿勢は、彼の父親への思いが反映されていたからかも知れません。

ぜひ、見てもらいたい「イージー・ライダー」

■当初はバイクに乗って旅をするアドリブ映画

追悼のためにぜひ、彼の映画をやってもらいたいものです。勿論「イージー・ライダー」が最高です。共演のデニス・ホッパーは「スピード」でお馴染みだと思います。また、「シャイニング」で有名なジャック・ニコルソンも出演、彼らの若かりし頃を振り返るだけでも価値ある作品です。そもそも、この作品は若者が単に「バイクで旅をする」だけのもので、最初の企画通りに出来上がっていたなら、今のような評価は受けられていないでしょう。制作途中から参加した脚本のテリー・サザーンさんがキーマンとなりました。彼は「2001年宇宙の旅」の脚本も手掛けた逸材であり、本作の功労者なのです。

■ニューシネマの呼び名に相応しい作品

テリーさんが脚本を書き、イージー・ライダーは映画としての体を成していったのです。しかし、焚火を囲み彼らが会話するシーンでは“宇宙人”の存在が語られ、終盤にはピーターさんが「神はいなかったのではないか?」と言います。これらは、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」に関わっていたテリーさんの影響だったのです。

 

冒頭で使われるステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」はヘビーメタルの起源とも言われています。疾走するバイクに音楽を被せて映画を進行させて行くやり方は、現在のPVやMVの手法で、当時の映画では見られなかったやり方です。ニューシネマと呼ぶに相応しい内容の映画だったのではないでしょうか、本作は1998年にアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されています。では、いまからすぐに「イージー・ライダー」をレンタルしに行きましょうBGMは“ワイルドで行こう”をお忘れなく!

 

 

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