「ワイドナショー」で神戸市須磨の“教師いじめ”を話題に!指原梨乃の「暴行」発言に賛同、乙武洋匡は語る資格なし。

引用 ワイドナショー

神戸市立東須磨小学校の“教員いじめ”問題は広がり続け、各方面で大きな話題となっており、15日には文部科学省の亀岡偉民副大臣らが神戸市教育委員会を訪れて長田淳教育長と面談し、早期の事実解明と加害者の厳正な処分を求めました。加害教師らは保護者説明会にも姿を見せておらず、現場でも事態は収束には向かっておらず、今後の教育現場への影響は避けられない状況です。そんな中、20日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」でも、この“教員いじめが”が取り上げられ、コメンテーターからは各人のキャラクターを反映した、それぞれの意見が述べれました。

教師だから「いじめ」と呼ぶのはどうか、「暴力」でしょう

■指原梨乃さんの社会人としてのバランス感覚

冒頭で行われていた“教師いじめ”の実態が説明されコメンテーターの指原梨乃さんが「これはもう“いじめ”ではなく“暴行”だ」と発言しました。彼女が、多くの番組に主演し支持を受ける理由は、こうしたバランス感覚のある発言ができる点でしょう。そうなのです、今回の問題を「いじめ」と表現していること自体が問題と言わざるを得ません、流されている動画には羽交い絞めにされた被害教師に無理やりカレーを押し付ける場面があります、どこから見ても“冗談”や“おあそび”には見えません。辛い者が嫌いな人間に無理やりカレーを食べさせようとしているのですから、「暴力」で弱い人間を攻撃する姿を映した動画として見るべきなのです。それが「いじめ」と表現することによって、グレーな行為となってしまっているのです。

■乙武洋匡さんの“文化人”としての歪んだバランス感覚

この問題に対して乙武洋匡氏も「教師経験のある人間として、こうした“こと”はよくあることと認識している」という主旨の発言がありました。非常に腹立たしかったのは、そういうことはあるもんだと認めている点です。ご自分の経験から「腰掛でしょう」「今、職員室であなたの悪口言ってますよ」と言われた経験を語っていましたが、その問題と今回の問題は本質的に違っています。教育の現場であっても非常識な行為が行われており、これが表に出ただけの話のように語って欲しくありません。それは、乙武氏の感覚であって、現在の教育現場の状況がすべて、そういう状況にあるということではありません。女性問題があったからと彼を非難するわけではありませが、問題の捉え方自体が間違っていると思われます。

「いじめ」を解決したければ、我々自身の視点を変えるべき

■「みんなやっているから」の感覚が抜けていない

先日、富士山頂のトイレを外国人登山者が占拠してトイレを使えない状況があることを某番組で流していました。その状況に対して長嶋一茂氏が「日本人は契約や法律に対して緩いんだ。リスクがないから平気で非常識な行動を取る。彼らは自国ではこんなことはしない、リスクが大きいからだ」と語っていました。答えはここにあるような気がします、いじめではなく暴行であれば、当初より警察の介入するところであり、加害者側も「犯罪」を犯したことになります。確かに「学校」という教育の場で、しかも教師が「犯罪」を犯すというのは衝撃的な事です、しかし、それを認めたうえで悪いことは悪い、やった事には責任を負わなければならないことを明確すべきです。学校は治外法権で守られるのではなく社会的な常識の元にあるべきなのです。

■まずは「人としてどうなの」と自身に問うて欲しい

“神戸教師いじめ”問題は、明日は○○市職員いじめや○○会社社員いじめとなって話題になるかもしれません。こうした問題を当事者たちの問題と捉えずに、我々自身の問題と捉えるならば、どういう形であれ他人の領域に勝手に立ち入って人権を侵害するような行為は「犯罪」である。そういう認識を持つ必要があります、犯罪を犯せば量刑によって処罰され“前科”がつきます。“前科”がつけば一生、自分のしたことがつきまとうことになります。偏見はいけませんが、前科のある教師に自分の子供を任せたいと思う親がどこにいるでしょうか?今回の加害教師たちも、自分たちの犯した行為が、どれだけ自分の人生にリスキーな事だったかを考えるべきです。その重大性が理解できれば、保護者説明会にも出席はしていたのでしょうが、いまだに被害教員に対して直接的な謝罪が行われていないのは理解能力がないからなのでしょう。このように自身の行動に理解と責任が負えない人たちは教師以前に「社会人」としての資質に欠けます。今回の問題の決着は、「人としてどうなの」というレベルでお願いしたいものです。

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