首里城火災から1ヵ月、観光客が戻らない周辺地域。本当の支援とは何かを考える。

引用 沖縄タイムス

那覇市の首里城で起きた火災から11月30日で1ヵ月となりました。今も消防による調査などが続いており、城郭への立ち入りには規制はあるものの同日朝から、城郭の手前の一部区画は散策できるようになりました。訪れる観光客は無残に焼け落ちた建物を目のあたりにして早期の再建を願っていました。立ち入りが可能になったのは、朱里城北側の「久慶門」から、東側にある「上の毛公園」に続く園路と、「木挽門」の手前のエリアです。散策する観光客からは「以前は、真っ青な空と真っ赤な建物が印象的でした。また、復元された首里城を見たい」と、1日も早い観光地としての復帰を願う声が上がっています。しかし、実際には沖縄に観光に訪ずれても首里城周辺には立ち寄らないケースが増加しています。

既に忘れ始められている首里城の火災

■首里城周辺の通行人は激減…観光客が来ない。

首里城が消失する前は、沖縄観光の代表的名所として年間280万人が訪れていました。消失から30日、首里城周辺を訪れる観光客は減少し、11月の売り上げが落ち込んだ飲食店も出ています。首里城近隣の事業者の経営にも影が見られ、県内の支援機関にはさまざまな相談が寄せられています。首里城は単なる観光や文化の施設ではなく、周辺住民の暮らしに直結する重要な拠点となっていたのです。かつて熊本地震で「熊本城」の一部が倒壊したことに熊本県民が胸を痛めたように、地域のシンボルとして生活に溶け込んでいた首里城の消失は沖縄県民に大きな負の影響を与えています。

■経済的損失も懸念される今後

また、首里城火災により首里城周辺を訪れる観光客は減少し、飲食店や駐車場を運営する周辺事業者は頭を悩ませています。首里城下の龍潭では火災後はしばらく、池の向こう側の焼けた首里城を眺めるために地元住人や観光客で埋まっていましたが、1ヵ月が経ち、立ち止まる通行人も少なくなっています。災害地域の記憶が被災者だけのものになっていくように首里城の火災も、首里城を想う人達だけのものとなっていくのでしょう。再建のための基金はすでに10億円超が集められたと聞いていますが、沖縄県民の心の支えとなっていた歴史的遺構が失われたことを、我々は忘れずにいることが大切なのです。東北が震災に遭ったこと、北部九州が水害に遭ったこと…そうしたことを忘れずにいることが支援に繋がっていくのです。

歴史的遺構としての観光地

■立ち寄るべき価値はある

龍潭からほど近い飲食店「あしびうなぁ」は、昼食時にもかかわらず客の入りは少ない状態でした。店の関係者は「火災前と比べて客は減っている。例年同時期と比べても感覚的には4割減」と話します。首里城近隣のコインパーキングには空きが目立ちます。約40台収納可能な駐車には5台の車が駐車、明らかに訪れる客が減っています。パーキング事業関係者は「火災の影響で売り上げは下がったはずだ。駐車場オーナーからも心配の声が上がっている」と語ります。契約駐車場や近隣店舗と提携したサービス券の導入も検討しているといいます。沖縄観光自体は首里城の存在に関わらず堅調な数字を稼いでいるのですから、建物がないとは言え、沖縄の歴史を語る上で重要な「首里城」を訪れてみるべきではないでしょうか、以前は『守礼門』しかない時代もあったのですから。

■火災が発生した今だからと語る地元店主

「火災が発生した今だからこそ、観光客には朱里の路地裏や史跡を散策してほしい」と話すのは地元商店主です。実際に戦闘が行われた戦地となったのは沖縄だけです、戦後はアメリカの支配下にあり、日本の領地ではありませんでした。いまだに米軍基地の大きな影響を受ける沖縄県民、「たいへんですね」と1000㎞を離れたところから声をかける私たち。もし、観光に沖縄を訪れる機会があれば首里城周辺を散策し、食事をしておみあげでも買って帰りたいと思います。すべてが『遠い地域の関係がない事』ではなく、同じ日本人として「何かしなくては」ならないはずです。そして、最も大事なことは『忘れないこと』、第二次大戦で大きな犠牲を出したこと、米軍基地が優良地の大半を占めていること、今も米軍基地の影響を受け続けていること、そして首里城が消失してしまったこと。1ヵ月、1年、10年…忘れずにいたいと思います。

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