新幹線での男女3人殺傷と熊谷の6人殺害事件、なぜ被害者側の重い量刑を望む声は届かなかったのか!

引用 サンケイ

今日、2つの事件に関する報道が行われました。一つは昨年6月に起きた新幹線内での殺傷事件に関する被告人質問と、2015年に熊谷で起きた女児2人を含む6人の殺害事件です。新幹線殺傷事件に関しては結審していませんが、死刑の判決がないと思われます。どちらの事件も「人が殺された」のに、加害者は“死刑”を免れる結果となってしまいました。理由はどうあれ家族を奪われた遺族にとって、犯人が生きていることは耐えれないことなのではないでしょうか。人の命を奪う者は、自らの命で償う事を求められて当然です。殺された人間の人権を尊重せずに犯人の人権を尊重するような軽い量刑には納得がいきません。

1人なのか6人なのか、人数の問題ではない

■刑務所に入るために殺害した

昨年6月に東海道新幹線で、乗客の男女3人が殺傷された事件で、殺人や殺人未遂の罪に問われた小島一朗被告(23)は5日午後、横浜地裁小田原支部の裁判員裁判の被告人質問で、検察側に被害者やその家族への謝罪の気持ちを問われ「一切ない」と述べました。小島被告はこれまでの公判で「刑務所に入るのが夢だった」として、無期懲役判決を受けて一生刑務所で生活したいと述べていました。謝罪しない理由として「謝罪すれば仮釈放されてしまうから」と述べていました。このまま、無期懲役の判決が出た場合には小島被告の望んだ通りになってしまうのです。人を殺しておきながら「自分の望んだ環境」を手に入れてしまうのです。家族にとって、これほど腹立たしいことはありません。

■正気が残っていたのに無期懲役

また2015年に埼玉県熊谷市で、女児2人を含む6人が殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われたペルー国籍ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(34)の控訴審判決が5日、東京高裁で行われました。大熊一之裁判長は一審さいたま地裁の裁判員裁判の死刑判決を破棄、無期懲役を言い渡しました。高裁は犯行時の被告について、心神耗弱状態だったと判断しました。大熊裁判長は判決で、被告は犯行時、統合失調症が悪化した状態で、「スーツの男が危害を加えるために迫っている」との妄想を抱いていたと指摘しました。被害者を「追跡者」とみなして殺害した可能性が否定できず、「妄想がなければ繰り返し殺人を犯す状況になかった」と述べました。

被害者の人権を慮るのは残された遺族

■残された者はどう納得すれば良いのだろう

新幹線殺傷事件の小島被告は「自分が刑務所に入りたくてやった」と自白しています、誰でもいいから殺したかったのです。また、熊谷の被告は「殺していない、殺したとすれば私を殺せばいい」などと不規則発言を繰り返していました、その結果が心神耗弱による無期懲役の判決です。しかし、実際には殺害現場から金品を入手し、証拠隠滅を図ろうとしたことも判明しています。どちらの事件も量刑として“死刑”を与えるに十分な罪を犯していると思いませんか?1人と6人、人数の問題ではありません。自分の都合で他人の命を奪う行為を償うには「死」を持って償うしかないのです。新幹線の小島被告は検察から「もし死刑となったら」と聞かれ「とても怖い」と答えています。馬鹿たれがと怒りがこみあげてきます。

■段取りとしての裁判ではなく、事件の真相を見て欲しい

小島被告は意図的に2人以下を殺害する計画を立てていました。ジョナタン被告は6人もの人を殺害しました。このような事例を見ると「人を殺害しても死刑になることはない」とバカな考えを持つ輩が出て来ないとも言えません。見せしめのための量刑として死刑を望むわけではありません、しかし、人として考えた場合「自己都合」で他人の命を奪う者は原則、自らの命をもって償うこととしてもらいたい。被害者の周辺にいったいどれだけの関係者がいることでしょう、その人々は一生「死んだ人間」を想いながら暮らしていかなくてはならないのです。もっと『人の命を奪う』行為の意味を考えるべきです。

 

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