「ワイドナショー」で話題、100日で死ぬワニと豊島園の閉園。感慨深き“終わり”の美学。

引用 朝日新聞

本日の「ワイドナショー」は漫画家のけらえいこさんがゲスト、時折彼女のトンチンカンな発言にレギュラー陣も戸惑いながらも、いつもと同じ辛口コメントの番組が心地よい日曜日の朝でした。今日の話題で印象に残ったのは“豊島園の閉館”と“100日で死ぬワニ”、沢尻さんの判決なんかど「どうだっていい」じゃないですか、我々視聴者にとって大切なのは日常のこと、薬物中毒の女優の行く末など構ってはおられないのです。それよりかは豊島園やワニの方が気にかかるのではあります。

単なる遊園地が消えるのではない

■非日常としての空間

豊島園は来園者が減少し、遊園地として維持していくことが困難になってしまったのでしょう。今まで、どれだけ多くの映画やドラマが「遊園地」という非日常の空間を取り上げてきたことか、しかし、時代は都心部の遊園地の存在を認めないのです。地価の高い都心部に効率の悪い“遊園地”では維持費だけでも行き詰ってしまうのです。西武が東京都やワーナーに土地を売却する気持ちもわかります。しかし、本日のワイドナショーのゲストとして出演していた「けら」さんが言っていたように、その昔「遊園地」は正装で行く“非日常空間”だったのです。

■その感覚は「サザエ」さんを見ればわかる

今も日曜日の定番番組である「サザエさん」磯野一家が休みの日に出かける特別な場所と言ったら、そうです、「デパート」です。その昔、デパートは非日常空間だったです、特別な場所だったのです。そのデパートと同じ価値観を持った空間が豊島園のような「遊園地」だったのです。けらさんが持ってきた当時の写真にあったように、初期の遊園地には“正装”した家族連れが当たり前だったのです。お父さんはネクタイをして、お母さんや子供たちも外出用の特別な服ででかけたのです。今では考えられませんが、それだけ特別な場所だったと言えます。

終わりの”美学”を考える

■場所によって想起される「思い」

その豊島園が閉園すると言っても、ほとんどの人は「そんなんだ」としか思わないでしょう。ここに“価値観”が必要となって来るのです、世界で初めて屋内スキー場を作った遊園地、あるいは世界で初めて流れるプールを作った「豊島園」というリスペクトとしての『そうなんだ』が必要となるのです。夏の日に流れているのかどうかもわからないほどに人で埋め尽くされたプールの思い出や、遊園地なのにスパに入れたとか、いろんな思い出が練馬区民でなくてもあるはずです。人が、その場所やある物事を意識するためには「そのための何か」が必要なのでしょう。

■行ってみましょう、豊島園へ

話題となっている100日後に死ぬワニ、そうなのです。100日後には死ぬことが前提となっているために日常の淡々とした話が意味深いものとなってくるのです。ただ単に日常を流すのではなく、『何か』を前に置いて考えるというのは、人間のイマジネーションを掻き立てて、いろんな思いに浸らせてくれるのです。公園やハリーポッターのテーマパークになると前置きするのではなく、かつて『昭和の異空間』として人々を魅了した豊島園が無くなると前置きして、豊島園を訪れてみませんか。ちょっと、イイ感じに遊園地という空間を感じることができるかもしれません。

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