高倉健が愛したただひとりの女、昭和の歌姫”江利チエミ”を振り返ってみよう

引用 BS朝日 昭和偉人伝

今夜、BS朝日で放送された「ザ・偉人伝」で昭和の歌姫、江利チエミさんの生涯が紹介されていました。そう、彼女が活躍したのは昭和60年代から70年代にかけて、生で彼女の姿をテレビで見た記憶がある人は、すでに50代も後半以上の方々でしょう。私も、彼女が歌う代表曲「テネシー・ワルツ」をテレビで見たことはありますが、それ以上の記憶はありません。80年代に入って、45歳の若さで亡くなった際に高倉健さんの嫁だったことを知り、改めて興味を持ったくらいで、それ以上、知りたいとも思いませんでした。

まず、驚くのは当時を語る中村メイコさん

■笠置シヅ子、淡路典子、江利チエミ 日本の戦後を応援した人たち

番組では「ブギー」の女王、笠置シズコさん。「ブルースの女王」淡路典子さん、三人娘のひとりとして人気を博した江利チエミさん。それぞれの生涯を紹介していましたが、驚いたのは、その時代、それぞれの方をご存知の中村メイコさんが、その時代、その方々に関して語っていることでした。そうなんです、既に“忘れ去られた昔”と思っていた時代と人を矍鑠として語る人がいたのです。同じ時代に芸能人であった中村メイコさんのお話は興味深く、当時を彷彿とさせる力がありました。中村メイコさんも86歳、ホリプロ所属の歌手、女優、タレントです。

■思い出した!初代の「サザエさん」

番組を見ていて「そう!」と改めて思い出したのは、江利チエミさんが初代のサザエさんを演じていたことを。福岡のフクニチ新聞の四コマ漫画から誕生した国民的キャラクター「サザエさん」、そうそう、初めて見たのは江利チエミさんのサザエさんでした。歌手、役者と多岐にわたって活躍していた江利チエミさんを思い出しました。昭和49年には「酒場にて」でヒットを飛ばしたこともありました、年月が経つと、誰が何をを忘れてしまうことが増えていきますが、こうして思い出すことも楽しいものです。

しかし、やっぱりイメージは高倉健の嫁

■これまで離婚の原因を知らなかった

高倉健さんが江利チエミさんと結婚し離婚したことは知っていましたが、その原因や背景は知りませんでした。今日番組を見て初めて知りました、江利チエミさんは異父姉が使い込んだ借金を返さなければならない状態になり、夫である高倉健さんに迷惑をかけないように別れたのだと、離婚の原因を説明していました。高倉さん側から書かれた高倉さんの自叙伝には「生涯、ただひとり愛した女」と江利さんのことが表現されていましたが、今夜の番組を見て、高倉さんが惚れるであろう江利さんの“生き方”が紹介されていました。健さんは高校時代に英語クラブに所属し、洋楽にも親しんでいました。また、育った環境は炭鉱を中心とするコミュニティ、14才から進駐軍のステージに立ち、きっぷの良かった江利さんは高倉さんの理想だったのでしょう。

■早すぎる別れ

江利さんは異父姉の作ったいわれなき借金を返すと、昭和51年2月13日、45歳の若さで逝去されます。葬儀には高倉さんは姿を見せることはなかったそうです、しかし、葬儀場の近くまで車で来て手を合わせる高倉さんの姿があったとか、思うに。江利さんに借金などの負い目がなければ、ず~と高倉さんと夫婦でいられたかもしれません。そうだったとしたら、高倉さんの出演映画も変わっていたかもしれません。しかし、昭和49年にヒットした「酒場にて」のような哀愁に満ちた曲は生まれなかったことでしょう。今日は、「酒場にて」でも聞きながら、寝酒でもいただきたいと思います。

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